龍は幻か?


いわゆる幻獣は、人間の空想の産物です。たとえば、スフィンクスや一角獣、フェニックスもそうですし、日本の河童のその類いです。ほとんどは、民族や土地による独特なもので、世界で共通なものとは言えません。
ところが、龍というのは不思議なもので、形や役割は異なっているもの、洋の東西を問わず、伝説や神話に中に語り継がれてきました。古代オリエントの「ティアマト」。ギリシャ神話の「ヒュドラ」、「ラドン」。旧約聖書の「リヴァイヤサン」。古代エジプトの「アンフィプテール」。アステカの「ケツァルコアトル」。インドの「ナーガ」・・・。中国ではよく知られるように偉大な霊獣として皇帝の象徴とされ、日本でも水神、海神とされる龍神神話、竜宮伝説は各地に残っています。龍は、人類の無意識の深層にいるかのようです。はるかに時代を超えながら、一度とて忘れられたことはなかった・・・。
果たして、龍は幻獣なのでしょうか? 人々は実在する確かなものとして目撃していたのではないか。
未知の領域を征服し、神秘の世界を遠ざけて、文明のもと豊かさをひた求めているうちに、私たちの目に見えなくなっただけではないか。
世の中が混沌し、人々に不和や争い、疑心が生じたとき、七色の龍たち、天界より集まりて合体し、地上を平和へと変える−−−。いくつもの土地に残る伝承と言います。なにかに導かれるように制作した七色の龍、ときが満ちた証かも知れません。

夢を


人生は思い通りにいかないものです。一度きりの人生、思い通りに生きたいのですから、現実とのギャップは苦しみのもとです。
それを埋めてくれるのが夢。夢は見ていればいいというものではありません。夢を描けば、そこに踏み出そうとします。たとえ、かなわないにしても、その道のりには手応えがあるでしょう。
ただ、いまの世の中が「失敗」に対して寛容ではないことが残念です。勝者と敗者。そういうレッテル付けを簡単に行ってしまいます。成功は結果に過ぎません。また、なにをもって成功とするか、も疑ってかかる余地があります。
若い人に夢を持ってほしいと願います。それだけで、もう半分以上“成功”しているのでは?

生きる力


ふっと、子どもの頃のことを思うと、ナイフや小刀など日常的に手にしていました。鉛筆を削るのも小刀でしたし、ナイフで木に細工をするなど、実用の道具として重宝したものです。
今や、凶器。子どもにナイフの使い方や火の起こし方など教えれば、おやごさんから文句のひとつも言われそうです。
過保護、と言うつもりはありませんが、生きていく知恵がこうした形で失われています。都会の暮らしで、包丁がない家庭が3割あるという調査を知り、驚きました。まな板がよごれるから、危ないから、と。
人間は、生活の営みの中で心身ともに進歩するものだと思います。好奇心あってこそ、知的興味も広がります。生きる力をもっと評価すべきではないでしょうか。

新しい幸福論のために


以下は、毎日新聞「ニュース論争:2012年の幸福論」で行われた曹洞宗長寿院住職・篠原鋭一氏と私の友人でもある文化人類学者の上田紀行氏との対談の抜粋です。

篠原 絆という言葉は最近よく耳にしますね。でも、誰かと会っただけで絆ができたりはしない。絆とは、村の冠婚葬祭などで古老が若者にいろいろと指示する中でできてくるものです。例えば木綿一反は、お棺をきれいに包み込んで一寸も残らない大きさです。葬式を準備しながら、ノウハウだけでなく人間を教えるわけです。ところが今や、葬式は業者の仕事になり、顔の見える人間教育のシステムではなくなりました。絆は時間をかけて作られ、連綿と保たれ、変化に応じられる強さがなければなりません。お金だけでは決して得られないのです。
上田 日本人は、損得の「得の絆」と有徳の「徳の絆」の違いが分からなくなっていますね。高度成長の時代、ある国会議員の後援会に入り絆を結べば、公共投資が降ってきてお金が入るというようなことを繰り返した。しかし、絆とは本来、親子の絆のように、得をしようが損をしようがそこにあるものです。あげた分だけ返してもらうという関係ではない。篠原さんが苦悩する人たちの相談に応じる場合、誰かを救うエネルギーが一方的に流れているように見えます。しかし、救われたと感じる人たちの存在自体がこの社会の光なのです。「苦しかったけれど、生きていく元気を取り戻した」と言える人がたくさんいれば、社会にエネルギーが広がっていきます。
まぎれもなく、いま私たちは選択を迫られています。降りてなお幸福な道を模索するか、経済成長に未来への希望を託し続けるのか。政治を司どる人たちも、この問いに明確な答を出し切れていません。2012年、今年の漢字は「絆」でした。言葉の雰囲気に頼らず、その意味するところをしっかりと我がうちに求めるときです。

二十歳


私が二十歳になったのは、80年のこと。東京の大学に在籍しながら、アルバイトの日々でした。
若者は「無責任」「無関心」「無気力」「無感動」の4無主義と名付けられ、「若者のくせに」情けないと言われていました。
ではおとなたちは、お手本となっていたのか・・・ロッキード事件では「記憶にございません」と繰り返す姿を見せられ、とサラ金は全盛で、「サラ金地獄」なる言葉が現れ、「不確実性の時代」と称された頃。なにを目標にすべきか、時代はもう教えてくれなくなりました。
そして、あの年、最も衝撃的なニュースは、ジョン・レノンの暗殺。9.11同時テロ同様、主義主張を超えて、ただただ暴力の恐ろしさを全身で感じました。
私は二十歳で何をみつけたのだろう。「成人」に値していたのだろうか・・・。
振り返ればもう、30数年も向こう側。いまの私は「大人」に値しているだろうか、と問いを立て直します。
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